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Czech Japanese
Christian Fellowship

チェコ日本語キリスト教会

放蕩息子と神の愛

放蕩息子と神の愛

1/2/26, 11:00

英語には「罪」を表す言葉が、いくつもあることをご存じでしょうか?その中でcrime(法律上の)とsin(道徳的な、宗教上の)は、明確に分かれています。実は聖書の神が示す罪は「sin」を指しているのです。種類を区別する言葉があることで、欧米人にとっては聖書の罪を理解しやすいのですが、私たち日本人にとっては言語上crimeとsinを切り離して考えることがどうしても難しく思われるようです。

前回「私には罪を犯した覚えがないのですが」というテーマで、創世記3章の前半から「神の視点と基準」によって、すべての人が「罪人」であることを話しました。今回は後半に目を向けて、神が初めの人アダムとその妻に、どのように愛を示されたのかをお伝えしたいと思います。

 

神はまず罪人を守られた!(創世記3章14~15節)

創世記2章16,17節には、アダムが神の命令に背いたとき「あなたは必ず死ぬ」とのさばきの警告が記されています。ここで3章の中心14,15節の神のことばに注目したいと思います。アダムとエバが命令に背いた直後に神がなさったことは、人を誘惑した蛇(悪の力)に対するさばきでした。神は蛇をのろわれた後「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫との間に置く。」と言われました。人を悪の力から守るために「敵意」を備えたことを宣言され、まず罪人を守られたのです!

人を造られた神は父親、神の息が吹き込まれて生きるものとなった人は神の子どもととらえてみてください。愛する子どもが自分から離れてしまった、父親の悲しみや怒りが想像できます。しかし神はそれらを超えて、まず人を守るための措置と約束をされたのです。ここに神の深い愛とあわれみを見て取ることができないでしょうか?

 

人を愛するが故にさばきを更新された神(同16~19節)

(神である主は)女にこう言われた。「わたしはあなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」

また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないと私が命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とアザミを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」

ここには神のさばきにより、アダムとエバがそれぞれに背負わなければならなくなった人生の労苦と、人に「死」が定められたことが記されています。「大地」を「土」とも「この世」「社会」ともとらえられることに気づかされます。少ない記述ではありますが、ここにも私は、自分の人生において体験してきたすべての苦悩が重なって見えて来るのです。

しかしここで目をとめてみたいことがあります。神は罰を更新されているのです。「そのとき、あなたは必ず死ぬ」はずだった者に、寿命が与えられて生かされました。さばきが更新されたのは、なぜなのでしょうか?

 

神が人に寿命を与え、エデンの園から追放した理由とは(同22~24節)

なぜなら神は人を初めにあった神との聖なる関係の中に置いて、親しい交わりを回復したいと願われたからです。わが子を罪と死の苦しみから救い出して、初めにあった神の平安に取り戻し、ともに永遠のいのちに生きていくことこそが「神の目的」であるからです。永遠の滅びからすべての人を救い出したい!それが神のみこころです。人の霊は、体が滅びた後も永遠に生きることが、聖書の終わりの書「黙示録」に記されています。人は体が死んで終わりではないのです。

神が人に寿命を与え、エデンの園から追放した理由が、自ら離れて行った者が罪人であることを認めて、悔い改め、自らの意志によって神のもとに帰って来ることを願っての措置であったとしたらどうでしょうか?また、私たちの人生で出会って来た苦しみが、このことに気づかせるための、神から送られて来た愛の知らせと捉えることはできないでしょうか。私はこのことを受け入れ始めた時から、人生が大きく変わり始めました。

 

「放蕩息子」

レンブラントが書いた「放蕩息子」の絵をご存じでしょうか?新約聖書ルカの福音書15章11~32節に記述されているイエスが語られた「放蕩息子」の話を題材にしたものです。ある家の二男が、父親が生きているうちに財産を分け与えてくれるように願い出て、これを持って故郷を離れて放蕩を尽くした結果、すべてのものを失って裸同然で父のところに帰ってくる話です。父親は息子を心配しつつ、帰還を今か今かと待っていました。そしてある日遠くに息子を見つけた父親は、自ら駆け寄り、次男を抱きしめたのでした。

父親は神、この息子は私です。自分の罪を自覚し、神に助けを求めはじめた私を、神のもとに到着する前に、神の方から出向いてきてくださり、私のありのままの姿を受け入れて、「よく帰って来たな」と抱きしめてくださったのです。自分の罪が分かり、悔い改めを願う私に、神は一番良い服(イエス・キリスト)を着せ、指輪(聖霊という保障)をはめて、履物(神とともに新しい人生を歩む靴)をはかせてくれたのです。これがあなたの造り主である、父なる神の愛のお姿です。

 

天地万物の創造主であられる神は生きておられます。今、あなたを救い出して永遠のいのちを与えようと働きかけておられます。神はいかなる時も愛なるお方であり、決してあなたを見放しません。「わたしのところに帰って来なさい!」と、「わたしとともに生きよう!」と、あなたに絶えず語りかけておられます。

しかしあなたは次のように言われるかもしれません。「神が自分を愛しているなら、苦しみなど与えずに幸せにしてくれたらいいではないか?」と。しかし、これこそあなたの思う通りにしてくれという、罪の中の罪をあなたは言い表していることにならないでしょうか?あなたの自己中心の考えと行いが、まわりの人をさらに苦しめ、関係を壊してしまうことを創造することは、難しいことではありません。

 

「罪」をテーマにして、創世記3章の記述を前半と後半の2回(1月、2月の投稿)に分けて、お話することになりました。次回は3章の中心、15節にある「敵意」について書いてみたいと思います。ここにイエス・キリストの誕生、そして十字架による死と復活の事実に関する預言が置かれています。

神は永遠の愛を私たちに、イエス・キリストを通して目に見える形で示してくださいました。どうぞあなたも心を開いて、この福音(良い知らせ)に耳を傾けてください。必ず神からのあなたへの特別な恵みが届きます。

記 N.Y

写真:ピリピ 川岸の祈り場(使徒の働き16章13節)

 

聖書のことば:

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに向かった。ところが、まだ家まで遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。息子は父に言った。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。」ところが父親は、しもべたちに言った。「急いで一番良い衣を持ってきて、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いてきて屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」(ルカの福音書 15章20~24節)

 

 


 

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