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Czech Japanese
Christian Fellowship

チェコ日本語キリスト教会

私には罪を犯した覚えはないのですが...

私には罪を犯した覚えはないのですが...

26/1/26, 11:00

聖書に示されている「罪」とは、あなたの造り主であられる神を無視している状態であることをご存知でしょうか?人を生かすために、天地万物をお造りになった神は、このことを大変悲しんでおられるのです。

聖書が示す「罪」って?

「罪って、何ですか?私には、罪を犯した覚えはないのですが。」これは、洗礼を受けるための学び会で、牧師に何度も質問をした私の言葉です。私は、多くの悩みを抱えていましたが、罪と言えるようなことをした覚えはなく、説明を聞いてもなかなか腑に落ちないことばでした。

しかし聖書が示す「罪」とは、私の理解とは全く違う、私をお造りになった「神の視点と基準から定められたことばだったのです。

 

「創世期」3章には、すべての人にある根本的な「罪の問題」が示されている

聖書の始まりの書「創世記」3章を開いてみてください。2ページに足らないほどの記述です。しかしこの前半には、神から見た人間の根本的な罪の問題、神から離れたことで自分本位な選択をする人の姿が、凝縮されたように示されています。

神がお造りになった初めの人アダム、そして彼から造られた妻エバは、生きる手立てのすべてが与えられて、神との親しい交わりの中で、神の平安に守られ、満ち足りた人生を歩んでいました。ただし神は二人に、一つだけしてはならないことを命じられました。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(2章16~17節)と。ところが二人は蛇のたくみな誘惑に負けて、エデンの園の中央にあったその木から実をとって食べてしまいました。

このことを神に知られてしまった二人は、神の御顔を避けて身を隠し、神の問いかけにも言い訳を尽くします。命令に背いたことを認めようとはせず、他者のせいにして責任逃れをしました。神から離れたことで人は、物事を自分の都合の良いように解釈する性質、自分にとって良さそうで目に慕わしく思えるものを得ようとする性質、賢くなって自分を誇りたい性質、自分を正当化しようとする性質などが現れてしまったのです。神はこうして人が神との親しい交わりから離れてしまったことを大変悲しまれました。

この時神は、神の基準を捨てて、「自分が、自分が」と自分の都合を優先するようになった人の性質を「」と定めました。そして人は、罪の結果としてななければならない者となってしまいました。

 

すべての人は、神に対して罪人であることを認めざるを得ない 

初めの人アダムの罪の性質が、今も私たちの中へと受け継がれていることを認めざるをえません。なぜなら「うそを言ったことがない」「何かについてごまかしたことがない」「人をねたんだことも、人のせいにしたこともない」「人を悲しませた覚えはない」と、言い切れる人はいないからです。

私は、これらすべてが自分にあることを告白するしかありません。口に出さなくても心で人をさばき、気づかないところでたくさんの人の心を傷つけて来ました。「創世記」にあるこの1ページ足らずの記述を読むだけで心が探られ、神が定めた罪に対して「はい」と認めるしかないことに気づかされました。わたしの抱えきれないほどの人生の苦しみは、この罪と死にあったことが分かったのです。

 

救い主・イエス・キリストによって現わされた神の愛と赦し

アダムとエバをルーツとして生まれたすべての人間は、神に対して「罪人」となりました。そして初めにあった神の平安を、人の方から失ってしまいました。私たちの人生において継続的な平安が得られない理由が、ここにありました。

このことを大変悲しんでおられる神は、人を罪と死の苦しみから救い出し、初めにあった関係「神の平安」に取り戻そうと、今も一人一人に臨んでおられます。

神は今から2000年前に、人に対するご自分の愛を、人の目に見える形で現わされました。神ご自身を犠牲にされるという、人の知識や理解をはるかに超えた方法によってです。神が人の姿をとってこの世に現れてくださり、すべての人のすべての罪を負って、私たちの身代わりとなり罰を受けて死んでくださったのです。神の目的は、人を聖なる者としてともに永遠のいのちに生きること。そのために私たちの罪を赦し、関係を和解させる方法をお考えになったのです。

このお方こそ、あなたも知っておられるイエス・キリストです。あなたも、神のひとり子として生まれたお姿を(クリスマス)、十字架に架かっておられるお姿(十字架の死)を、さらに永遠のからだをもってよみがえられたお姿を(復活祭・イースター)、あなたは見て知っておられます。神は、あなたの目の前に現れておられるのです。

 

神を知り、罪人であることを認めることによって開かれていく福音への道

イエス・キリストを通して示された愛は、人に対する神の、一方的なあわれみと恵みによるということが言えないでしょうか?イエス・キリストによってなされた良い知らせGood news・福音)は、だれでも、どこにいても、いつでも、ただで受け入れることができます!

この良い知らせを受け入れるために、まずあなたを造られた神がおられることを知る必要があります。そして神に対して罪人であることを認めなければなりません。ただ一つの条件「イエス・キリストの十字架の死は、私のためであった」ことを受け入れると、その後は神があなたに揺るがない平安を与え、愛と希望の人生へと歩ませてくださいます。

ここに、あなたの人生を大きく変えられる唯一の道が示されているのです。

 

あなたもぜひ、聖書を読んで良い知らせを受け取るために、教会にいらしてください。教会は、だれでも、ありのままで来ていただける場所です。

記 N.Y

 

聖書のことば:

「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一 1章8~9節)

 

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