9月のみことば
- namisumire
- 2025年8月31日
- 読了時間: 2分
神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっています。
(ヨハネの手紙第一 4章16節b,c)
あなたへの小さなメッセージ
このみことばの書かれた栞が古い本にはさまれていました。その本は「望郷と海」著者は石原吉郎。
第二次大戦の終わった1945年から1953年まで約8年間ソビエト連邦に戦犯として抑留され、帰還してから詩を書き始めたのです。
ソ連の強制収容所では理不尽な体験、過酷な待遇による死を何度も見る経験を重ねました。
しかしようやく生きて戻れた母国日本は、彼にとって安心できる場所ではなく、別の意味で精神的にもっと辛い日常であったようです。
「聖書を読むことから一日の生活を始め、生活の中心に聖書を置くと決意して多くの月日が経った。」と記されています。
そのひとつに「つまずき」について、「深くつまずくなら、それは私たちの深い関心のしるしであり、この世に対する責任の証である。」など、聖書をどれだけ読み込んでおられたろうと想像できると思います。ただ、あまりに辛く酷い日々の記憶はそう易々と癒せるものではなく、人間の尊厳と神の存在について、彼の心のかっとうの重さが詳しく書かれています。
「もし私が何ごとかに賭けなければならないのであれば、私は人間の<やさしさ>にこそ賭ける。」この短い文が本の終わりのページにあります。
抑留中の労働で、コルホーズの収穫に捕虜達が駆り出されたことがありました。そこはウクライナから強制移住させられた女性と子供ばかりで、男は全てどこかの強制労働に送られていました。
昼の食事となり、捕虜の彼らは普通は許されない食事に招かれ、なぜか警備兵はわざと見てみぬふりをしてくれました。パンとわずかの脂肉、馬鈴薯、人参のスープが気が遠くなるほどのうれしさで、息もつかずガツガツと食べたであろう彼、彼ら。近くにいた老女が涙でいっぱいの目で見ていた。女たちは黙りこんでしまった。
その時の彼はパンとスープで幸福の絶頂にいて、彼女たちの沈黙と涙を理解するには時間が必要であった、とあります。
おそらくこの時の体験が、上記の<やさしさ>にこそ賭ける。を言わしめたと思えてなりません。
このやさしさは神からいただいた愛です。
S.K記



